See more details
Title List

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

この1ヶ月②

記録しておきたいことがあったのでつらつらと。

◆動物園のシロクマから思ったこと
所用がてら旅行に行ってきまして、動物園も兼ねたレジャー施設に行ってきました。
そこで南極の氷を模した住処の中にいるシロクマを見ている時にふと、飼育している動物が人間に襲い掛かる事件がここ数年多い理由を思い付きました。
「偽物」の世界で育ち、一見骨抜きになっているように見える動物たちであっても本領を発揮することができる。人間の世界も「偽物」が蔓延っているが、それに負けることなく自身の身魂を鍛えることができれば動物園の動物たちと同様、人間としての本領を発揮することは可能である。そのためには、偽物を偽物と気付ける感受性がなければならない。偽物の環境で生きる動物園の動物たちをなんとなく見ている人が多いが、自身の世界に蔓延る「偽物」に気付かず骨抜きになっていることに気付き、目を覚ましなさい。
ということを高次存在が地球人に気付かせるべく起こしている
ことなのではないかなと。
一応ロッドに訊いてみたところ「真実の一つである」とのことです。
人間が本領を発揮できたらどのような感じなのだろう。
坂本廣志氏の言う「第一世界の住人」はそれに近いものではないのかなと思います。

◆地球に来た理由?
祖父の法事で菩提寺に行き、坊さんがお経を読んでいる間に仏壇の装飾品を眺めていたのですが、そこで「なんで仏壇はこういう装飾なんだろうなあ」とこれまで思いもしなかった疑問が湧きました。
私は自分のことを何でも知っているとは思いませんが、知らないことだらけだなと改めて感じました。
そしてその時、「知らない、分からないことがある」ということを再確認するために私は地球に来たのかもしれないと感じました。
本体がさらに生命体レベルを上げるために初心に戻るべく、「分からない」ということとそこから分かっていく過程を改めて地球で体験しようとしているのではないだろうか?と思いました。
後日ロッドに尋ねたところYesでした。
歩みが鈍いのでこの間も自分の外側に翻弄される状態に対して「そうだ、自分の世界は自分のものだった!」とハッと思い出す有様なのですが(汗)、諦めずに気長に道を求めようと思うのでありました。

スポンサーサイト

この1ヶ月①

ご無沙汰してしまいすみません。

ここ1ヶ月公私共に忙しくしていまして、特に直近半月は本業が怒涛の如し…な状態でした。
周囲の皆さんのフォローのおかげもあり、コトは完全に収束していませんがひとまずなんとかなりました。

この半月を振り返って、私は「やるべきことが多く、忙しい」という状態に弱いのだということを改めて感じました。
業務量が過度に感じられると、普段は何とも思わない「業務」という存在そのものが重くのしかかるように感じられて、それだけでなんとなく気が滅入っていたように思います。
おそらく「自分はこれをやりきれるのか」という不安によるものだと推測しています。
そしてこの半月はそれにプラスして、解決へ向けて調整しなければならないトラブルが頻発し「もう…無理…orz」な心境にもなっていましたが、今思えば前述の「なんとなく気が滅入っていた」波動の状態がトラブルを呼んでいたのかもしれません。
頭を使うべきで低次の心を持ち出している暇はないはずなのですが、これはひとえに精進が足りてないということであり、逆に言えば伸びしろなのだろうとも思います。
繁忙に負けず今回のような経験をし、自分の「忙しい」と感じるレベルを上げていくこと、そして、「忙しいと不安になる」ということの原因の究明と解消をしていくことで解決していくことだと思うので、気長に取り組もうと思います。

あと、今回はちょうどプライベートも予定が多々入っていてゆっくり休む間がなかったのもよろしくなかったなと。
周囲を見ると常に動いていられるようなアクティブな方もいますが、私は一人でのんびり充電する時間が必要なのでメリハリを付けていく必要があるとこちらも再認識しました。

以上、反省と整理のために残しておきます。by学者

学者の所感

賢者、「人生はエンターテイメントだとちょっぴり思っている」とのたまひけるに、
ワイ学者、「人生は実験場やと思うんやで」とぞ思ふ。

(古語の一人称を調べるのが面倒だったのでなんJスタイルで誤魔化してみる。)
(念のため言いますがキャラ崩壊してません。と言うか純白なので際立ったキャラはありませんw)
(むしろ何にでも染まれる傾向があります。)

さて、言い訳は置いておいて。

「人生は実験場である。」
以前から何かにつけてそう思っていたのですが、
あやにゃんさんの言葉に触発されて記録しておこうと思った次第です。

学者なので実験してみたいことを試して、記録して…を繰り返すのが楽しいと思っています。
(今気付いたのですがロッドはまさにこれですね。)
実験場なので成功も失敗も、経験することすべて貴重な記録の一つです。
失敗しても次の成功に繋がれば結果オーライです。
実験場なので転んでもタダで起きたくないです。
自分自身の記録はアカシックレコードで共有の記録にもなるはずなので、
なるべく実のある実験をしたいなあと思っています。

これが結果的に「やりたいことを心置きなく、楽しくやる」ということに
繋がっていると感じています。

タンザナイト

En”Dolphin”のお年玉企画が届きました。

20180115233348d26.jpeg
「タンザナイト」という石です。

メッセージは「過去からの習慣的な考え方によることなく、物事の持つもっと深い意味を捉えるように」。
仕事をしていて、今の自分の感じ方を超える感じ方を獲得しないと根本的な解決には至らないと思う事案と
対面していたのでアドバイスをくれたようです。

あと、お守りとして用いるなら「過去の失敗を乗り越えたい時」に有効なのだそう。
最近、そろそろなんとかしなければと思っていた過去の失敗による傷があります。
「自分が物事がわかっていなかったために大切な人に迷惑をかけ、結果その人に見放されてしまう。」
というものです。
幼児園児の頃にやってしまった失敗なのですが、その後もここまでではないものの
似たような失敗を繰り返してきたのでまあまあ根深く心に残っていて、
その時の感情がたまにぶり返して苦しくなることがあります。
先日それで苦しむ最中にやっと「分かろうとする姿勢があれば失敗を繰り返すことはない」
ということに気付いたので収束の方向に向かうだろう…とは思いますが、
このタンザナイトはそんな今の私のサポートに来てくれたように思います。

と思っていたところで印象的な夢を見ました。

誰かが私にYouTube の動画を見せている。
その動画が、元々呪いの動画だったものの現在は見た人が幸せになる動画に変貌しているという代物。
私にその動画を見せる存在は「これは最初から最後まできちんと見ないと効果がないんだ」と言う。
私はそれに対して、本当に幸せの動画なのか、見て呪われないだろうかとビビりつつ、
相手の言う通り最初から最後まで動画を見た。

この夢を以下のように解釈しました。
呪いの動画=これまでの私の失敗パターン(呪いのごとく繰り返す)
それが幸せの動画に変化=失敗パターンを吉に転じることができる。
ただし、そのためには最初から最後までそのパターンを直視しなければならない。
ビビりつつも動画を見る私=パターンを繰り返すことへの恐れの気持ちはあるが、
幸せに向かって素直に向き合う姿勢が功を奏すかも?

ロッドに確認したところ上記の解釈で良いそうです。
起きた直後は「私、低級霊に騙されて呪われたのか?」と戦々恐々としましたが、
動画を見せた存在は私のハイヤーセルフとのことでした。良かったw
(念のため、セカンドオピニオンを求めようとは思っていますが)
私が失敗パターンをなんとかするべく動き出したので、ハイヤーセルフがそれに呼応したのでしょうか。
そうだったら良いなあ。

お年玉企画、助けられつつ楽しませていただいています。
nicoさんありがとうございました!

更新の間が空いてしまいすみません。

8月は完全に夏バテしていて、9月に入っても一向に疲れが抜けないので
何かと思えば本業で気疲れしていた様子。(気付くの遅)

お盆明けから関わる人ががらりと変わり、それに伴って
これまでは考えなくてもやって来れたことを考えなければならなくなった。

それまでは私が関わらなくても上手に状況を回してくれる人が上にいたのだが、
そうではない人がその座についたので、私もその分携わらなければならないことが増えたという感じだ。

また、新たに上に立ったその人が、そのまた上の上司の信頼が無いに等しいため、
私はその二人の板挟みになっている。
上の上司からの風当りを私も受けている感じで、
前上司の時には取り沙汰されることもなかったものを現上司になった途端取り沙汰し、
前上司の頃のことも現上司のせいにし、私にあれこれ言ってくる。

そして現上司は上の上司の信頼が無く、かつ実際問題上手に状況を回してくれる人ではないために
上の上司は私が状況を上手く回すサポートをすることを求めているようだ。

しかしそれらについて、私が頭も心も上手く対応しきれていない。
正直今の私には、その人をサポートしきれるだけの経験値も判断力もないと思う。
自分なりに思考、判断はするが、ほぼ必ずその上を行く判断が先輩の口から出てくるので
自分だけの判断で新たな上司のサポートをするのは無謀である。
なので、明らかに経験値も判断力も不足している私にサポートをさせようとする上の上司には
無茶振りさせやがる…という気持ちになる。
(その上それを無茶振りと思ってない&
 無茶振りの責任は俺じゃないと無意識に思っているので困ったものだ)

ということを今まできちんと言語化しきれずにいたので、
私はすっかり疲弊しきっていたという感じである。
できない自分に焦って頭が回らなくなるという負のループにはまりかけていたのだが、
「ある程度はできなくて当たり前なのでは?」とこうして文字に起こすことで感じ、
ひとまず持ち直した。
「できなくても仕方ない」と「できるように精進する」のバランスを取りつつやっていく必要があるだろう。

しかしここまでの言語化だけでは足りないと思う。
現状の概要だけならこれで足りるが、疲弊していた原因を洗いざらい意識化することで
もっといろんなことが見えてくるように思う。
自分自身の根深い癖も見えてきそうな…。

私としては若干ハードモードな魂のトレーニングだと感じるわけですが、
上の存在が用意してくれているのでいっちょやってみるかというところです。
(余談ですが、こうして俯瞰してはみるもののやっぱりいざとなると渦中の人間と化してしまうのは
 若年期ならではかなあと思います。俯瞰の練習をしたら変わってくるかとは思いますが。)

そして、今回の話は「何の話やねん」という感じであるかとは思います。
未熟であーだこーだやってる若年期サンプルとしてくだされば良いかと。
(あれ、「一緒にするな」という他の若年期の方の声が聞こえたような…)

Recent Pics

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。